功徳は広大で素晴らしく、冥路を逝く者を助けると聞いているからであり、『梵網経』の無上の福力をもって、冥界の聖武天皇を助け、毘盧遮那如来の浄土へ赴かしめるためであるという。『梵網経』には、「若し父母兄弟死亡の日に、応に法師を請じて、菩薩戒経律を講じ、福をもて、亡者を資け、諸仏を見ることを得、人と天上とに生ぜしむべし、若し爾らずんば軽垢罪を犯す」(不行放救戒)と説かれている。孝謙天皇は、この教えに従って、父聖武天皇の霊のために全国において『梵網経』講説を行ったのである。 この時全国の寺院で講説された『梵網経』は、五世紀頃に中国で撰述された偽経であると考えられており、孝思想を多分に含んだ大乗菩薩戒を説く経典である。『梵網経』は菩薩戒について、「父母、師僧、三宝に孝順せよ。孝順は至道の法なり。孝を名づけて戒となし、亦制止と名づく」と説き、菩薩は、慈悲心、孝順心を生じて一切衆生を救済すると説いている。この『梵網経』の教義である菩薩戒について、『梵網経』の経疏、例えば、『梵網経古迹記』では、「孝は謂はく養育、順は即ち恭敬、恩を知りて恩に報いるは是れ孝道なり。(中略)孝を戒と名づく、亦制止と名づくとは、孝は百行の本、先王の要道為り。戒は万善の基ひ、諸仏の本原為り。善は此れ従り生じるをもって孝を名づけて戒と為す。悪、此れ従り滅するをもって亦制止と名づく。所以に孝と戒とは名異にして義同じ」と解釈している。諸国の寺院において『梵網経』が講説された際、講師たちは、この『梵網経古迹記』などの経疏の所説に依拠しながら『梵網経』を講じていたものと思われる(注18)。 全国における『梵網経』講説は、講説を聴聞した僧尼に、仏教の戒律は、儒教倫理の根本である孝と同義であるという理解を浸透させていくこと |
になった。また、戒と孝とは同義であるとする理解は、不孝を犯した場合には、破戒同様、宗教的罪(仏教的罪業観に基づく堕地獄など)として意識されていったであろうと推測される。『孝経』「五刑章」では、不孝は「子曰く、五刑の屬三千、而して辜不孝より大なるは莫し」として、最大の罪であるとされるが、これは、社会的・政治的な辜であり、宗教的な罪ではない。しかし、不孝を宗教的観点から解釈すればどうなるであろうか。儒教では社会的に最大の辜であるとされる不孝を、破戒に置き換えて仏教的罪業観から捉えた場合には、堕地獄に匹敵する極悪の罪となることが考えられるだろう。 八世紀末から九世紀初頭にかけて成ったと考えられている『日本霊異記』上巻「凶しき人 ![]() 『梵網経』講説と時を同じくするように、八世紀中頃、日本の知識階層は、中国六朝の儒教・仏教 |
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