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い、その僭上の振る舞いが蘇我氏滅亡を招いたことが記されている。この記事が事実であるとすれば、七世紀前期の日本において、儒教様式による祖先祭祀儀礼が行われていたことになる。ただし、蘇我氏の僭上ぶりを強調するために、論語』「八 篇」をモデルに創作された記事であることも否定できないように思われ、七世紀前期の日本において、儒教による祖先祭祀儀礼が一般的であったと考えることには躊躇せざるを得ない。
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注16: |
田中久夫『仏教民俗と祖先祭祀』(永田文昌堂、1986年)
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注17:
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拙稿「『続日本紀』にみる孝思想―儒教の孝と仏教の追福―」(『駒澤国文』第四十号、2003年2月) |
注18: |
『梵網経古迹記』は、薬師寺景戒の『日本霊異記』にもしばしば引用されており、南都の僧にとっては熟知の経疏であった。また、天台智?『菩薩戒経義疏』は、孝を順(したごう)と解し、終始変わりなく孝養することである、と述べている。唐の華厳の法蔵『梵網経菩薩戒経本疏』では、父母に誠を尽くし、父母に菩提心を生ぜしめて、苦を離れ楽を生ぜしめ、ついに成仏せしむることが孝である、と述べる。
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注19: |
速水侑『日本仏教史古代』(吉川弘文館、1986年)
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注20: |
小林真由美「東大寺諷誦文稿の成立年代について」(『国語国文』第60巻第9号、1991年9月) |
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注21: |
小峯和明氏は、『東大寺諷誦文稿』の表現の分析から、中世唱導資料の内容・表現との共通性を指摘し、唱導という言説の原点に位置する重要なテキストであることを論じている。(「東大寺諷誦文稿の言説―唱導の表現―」、『国語と国文学』第68巻第11号、1991年11月)
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― たなか のりさだ ―
国内研修:駒澤大学教
指導者:東京大学大学院 小島孝之教授 |
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