説話・願文にみる思想と信仰の総合的研究
 
 
田 中 徳 定 
 
はじめに
 古代日本において、人びとの生活は、信仰と深く関わるものであった。古代日本人の生活思想は、種々の祭祀や宗教儀礼のうえに現れているとみることができる。宗教儀礼および儀礼にともなって説話が語られていることも多く、そのような説話には古代の人々の信仰や思想が埋め込まれている。信仰に基づいて行われたさまざまの儀礼と説話を読み解くことを通して、日本人の思想や心性を明らかにすることが可能であろう。
 仏教の法会儀礼においては、祭祀執行者(僧)によって、法会の趣旨を記した表白や法会を行う主催者(施主)の願意を記した願文が読みあげられ、また、法会の主催者(施主)を讚える説法が行われた。表白・願文は文飾を凝らして作られ、説法には譬喩因縁が引用されて語られた。法会におけるこのような言語行為は、決められた次第に則って行われ、宗教的意味合いを強く帯びるものであった。祭祀執行者(僧)を通して、これらの文言が読みあげられ語られたことは、その場に参集した施主を始めとする聴衆のみを対象としたものではなく、法会の場に招ぜられた仏あるいは霊にも捧げられたものであると考えることができる。そこで、法会の表白・願文および説法という唱導を通して、そこにはどのような信仰や思想が込められているのか、日本人の信仰と精神の様相を考察していく。
 一、 仏教法会と中世唱導資料
 日々の生活の中で、人びとが否応なく宗教を強く意識する場面の一つとして、葬送儀礼と祖先祭祀をあげることができよう。奈良時代以降、葬送儀礼と祖先祭祀は一般的に仏教儀礼として行われた。その追善供養法会において作成された、表白、願文および説法に用いられた説話の手控えは、唱導資料として現存しているが、特に中世の唱導資料は、日本各地の寺院や文庫に多く蔵されており、現在、次々と翻刻紹介されている。
 日本の唱導は、澄憲(1126〜1203)の登場によって、澄憲からその子聖覚へと続く安居院流が形成されるにおよび、唱導の法則が整えられ、唱導資料が多く残されるようになった。安居院以前の唱導については、断片的な資料からしか、その実態を知ることができないという実情により、唱導の実態について知るためには、安居院の唱導資料が大きな手がかりとなる。その安居院唱導資料が、もっとも纏まった形で公刊されているのが、神奈川県立金沢文庫蔵の安居院関係唱導資料を翻刻紹介した『安居院唱導集』上巻(角川書店、1972年)である。当該書には、『言泉集』『転輪鈔』『鳳光抄』『讃仏乗鈔』が収められ、安居院の唱導の一端を窺うことができる。
 『安居院唱導集』は、残念ながら上巻のみの刊行であって、下巻は刊行されないままであるが、幸いなことに、小峯和明氏・山崎誠氏・阿部泰郎
 - 1 -
   next>>